「秘めフォト」誕生〜リピート率86%のフォトサービス〜
すべての始まりは『READING LIFE』だった
事の始まりは、二〇一四年十一月だった。雑誌『READING LIFE創刊号』を購入し読んでくれた著名な写真家青山裕企さんが僕に一通のメッセージをくれたのだ。
「おはようございます! 青山です。READING LIFE届きました! なるほど体験しながら読む。まさに天狼院を体現していますね。中で名前出していただき、ありがとうございます。私も、最近女子が自分を、女子を撮ることに注目してまして、自撮りを研究しています。一〇〇万部売れる本作り、もし出来ることあればぜひ!」
『READING LIFE創刊号』を読んだ方ならお気づきだと思うが、第三特集『最強のリベラル・アーツは「エロ」だ』において、100万部売れる本を本気モードで作るという企画があり、そこに青山さんと女子のための自撮り・友撮りの本を作りたい、という内容の記事があったのだ。これは日経ビジネスオンラインのプロデューサー柳瀬博一氏が出してくれた企画だった。(詳細は雑誌『READING LIFE創刊号』p121)
本来ならば、編集長の僕が青山さんにオファーを出さなくてはいけないところ、逆に、青山さんが見つけてくれて声がけしてくれたのだ。
それで二〇一四年十一月十九日に青山さんと天狼院で打ち合わせをしたのだが、完全に意気投合、青山さんならまた新しい市場を切り拓いてくれると確信を持った。
そして、まずは女性の皆様を主人公とした、女性のためのセクシーフォト講座を開こうということになった。
これが、天狼院の人気コンテンツとして進化しながら続いている「裏フォト部」の始まりだった。
原始「裏フォト部」で見た可能性
女性の皆さまを主人公とした、女性のためのセクシーフォト。
たしかに多くの女性の皆様に受け入れられそうだと思った。自分のセクシーを引き出してもらいたいという女性が、数多くいるだろうと思ったからだ。
けれども、実際に「裏フォト部」を開催してみて驚いたのは、女性が他の女性を撮りたいという需要だった。それ以前に驚いたのは、女性の皆さまが、青山裕企さんの出世作のひとつ『スクールガール・コンプレックス』シリーズのファンだということだ。『スクールガール・コンプレックス』とは、女子高校生のフェチズムを、まったく新しく清らかな雰囲気の中に閉じ込めた作品集で、これのスマッシュ・ヒットをきっかけとして、これ以降、青山裕企さんの作品を模倣した「きれい系フェチズム」の写真集が市場に溢れた。
僕は男性として『スクールガール・コンプレックス』の大ファンである。けれども、女性の皆様がこれを好きだという気持ちが、いまいち理解できなかった。
なぜ、青山裕企さんのフェチズムに満ちているはずの作品は、女性の方にも受け入れられるのか? その疑問に対して、青山裕企さんはこう答えたのが印象に残っている。
「私も驚きました。スクールガール・コンプレックスの個展をやったときに、来るのは男性だろうと思っていたんです。けれども、多くの女性が個展に来て、私の作品を評価してくれるんです」
これは、なぜ、女性は女性を撮りたいのかという疑問にも通じる話である。
たとえば、僕ら男性は、他の男性のセクシーを撮りたいとは思わない。もし、男性のセクシーを見せつけられたとしたら、どちらかと言えば苦痛である。
けれども、「裏フォト部」で起きていたことは、真逆である。女性の皆様は、実に楽しみながら、他の女性のセクシーを撮り、そして撮られているのだ。
実感として、僕ら男性には、この感覚がまるでわからない。しかし、たとえわからなくとも、目の前で起きていることはすべて正しいのだ。
男性の我々には、備わっていない「高揚のシステム」が、どうやら女性の皆様に備わっているのだろうと思った。
映画『世界で一番美しい死体』の中の「裏フォト部」
青山裕企さんと創った「裏フォト部」で湧き上がった疑問を解明するために、一冊の本の企画が立ち上がった。まさに『READING LIFE創刊号』の誌面上で青山裕企さんに呼びかけた企画が、なんと、本当に出版社の企画会議を通ってしまったのだ。
しかも、編集者を含めて、我々プロジェクト・チームは、全員が三十代の男性だった。ステキ女子は一人も混じってはいない。これ以降も、我々は天狼院の「裏フォト部」で、本の一握りの女性の方ではなく、思ったよりも多くの女性に、この男性には理解できない「高揚のシステム」が搭載されていることを知った。
起きてることは、すべて正しい。
けれども、何が起きているのか、僕らには明確には解明できないでいた。
そんな中、僕は御伽ねこむを主演に起用した映画・演劇『世界で一番美しい死体〜天狼院殺人事件〜』の中で、「裏フォト部」をフィクションとして取り上げた。そして、この作中で、ある理論を組み上げた。
それが、「2629理論」である。
演劇版『世界で一番美しい死体〜天狼院殺人事件〜』の脚本の一部を抜粋しよう。
本山「これって、これってどういうことなの?」
と、井上に詰め寄るように。
本山「26歳くらいから女は本当に美しくなる……?」
井上「そう、女性にとって、目に見えない第三の生え変わりが起きて、本当の女のゴールデンエイジが始まる」
本山「第三の生え変わりって? 女のゴールデンエイジって?」
手の中のフラッシュメモリーを見つめながら、
井上「実は、このフラッシュメモリーの中に入っていたのは、映像だけではなかった。ある文書が入っていたの」
佐伯「文書?」
そう、と井上は頷く。
井上「映像の方ではなく『幼女性の残像』と名付けられたその文書こそが、2629(34)の真髄だった」
スクリーンには「幼女性の残像」の文書が映し出されている。
自由に身振り手振りを交えながら、
井上「18歳の美しさは『体型(フォルム)の完成』と『幼女性の残像』が交わることによって生まれた巨大な幻想であって、そこにはまだ『真の生産性』が備わっていない。
『真の生産性』とは、突き詰めて考えていくとすなわち『母性』であって、この『母性』が女性の本当の意味での美しさの源になるものである。つまり、生物学的に言って、生殖の準備ができた時期が最も美しいという、至極当然の帰結を得たわけである。
問題は、生殖の準備ができた時期、『母性』が備わるのは何時かということだ。歴史を紐解いていくと、戦国武将の多くは十代の妻を娶っていて、『鬼も十八番茶も出花』と言われるように古くから十八歳付近の美しさは特筆されていたわけであるが、それは今よりも平均寿命がずっと短かった時代のことだ。
単純な対比で考えた場合、平均寿命が50年のときの18歳は平均寿命が80年のときの28・8歳に相当する。そして、それは平均寿命が伸びるに連れて後ろへとスライドしていくものなのだろう。
つまり、たとえば女優ならば価値が下がっていると思われていた26〜29歳、あるいは近い未来においては34歳くらいまでが、女性として最も美しい時期に差し掛かるのではないかと推測するものである。
これらのことを踏まえて、26〜29歳、あるいは34歳までの期間を、女性のゴールデンエイジと名付けようと思う」
自分の興奮を静めようとするかのように、
本山「ちょっとまって」
自分の考えをたしかめながら、
本山「19歳の美しさは『体型(フォルム)の完成』と『幼女性の残像』が交わることによって生まれた巨大な幻想……。だとすれば、若い子がもてはやされている今の世の中は、その巨大な幻想に包まれているってこと?」
井上、そう、と頷く。
井上「まさにそのとおりで、それは男性の幼児性の裏返しでもある。韓国とかを見ればわかる。韓国のガールズユニットは、幼児性を志向したりはしない。いかに大人に、いかにセクシーに見せるかを志向する」
佐伯「それは、裏を返せば、韓国の男性が大人だということですか?」
井上「韓国には日本とは違って徴兵制度があって、それだから日本の男性よりも否応なく早く大人にならなければならない」
嘲るように笑って、
佐伯「その時期、日本の男性はたしかに携帯でゲームとかやっているから、大人になれるわけがないですよね。つまり、未成熟な男性が、女性に幼児性を求めて、その巨大な幻想を作った……」
井上「そして、社会が女性に過度な幼児性を求めた結果、『暗黒時代』が生まれた」
本山「暗黒時代って、要するに、幼児性から離れていくことに対する恐怖がもたらすものってこと?」
井上「そう、離れれば離れるほど、その恐怖は強くなり、暗闇が深まり、焦燥感が増してくる。そして、ひどい時には自分を見失ってしまう、まさに、今の本山さん、あなたのようにね」
本山、それに対して何も言えない。
佐伯「でも、暗黒時代があったとしても、もしその先に、最も輝ける時代がやってくると思えば、考え方が変わりますよね?」
井上「先に光が射していれば、暗闇も怖くないよね。それまで年をとるに連れて、どうしよう、早くデビューしなきゃ、大きな役につかなきゃって思っていたとしても、この2629(34)の理論を知っていたら、焦らなくなる。まだ私の時代は始まっていないんだって思えるようになる」
佐伯「なるほど、『巨大な幻想』のように光り輝く19歳的な時期があって、やがて『暗黒時代』に突入するが、やがて2629(34)の『ゴールデンエイジ』が訪れる……。この考えが、世の中に浸透すれば、ある意味、革命が起きる。女性の意識革命とでもいうべきことかも知れませんね。ゴールデンエイジの女性が自信を持つようになり、今まで18歳的な透明感にばかり目を向けていた社会が、そこをフォーカスするようになる」
全員を見渡しながら、
佐伯「男性だって変わりますよね。その年代の女性が自信をもって、ますますステキになっていけば、男性もその女性たちに振り返ってもらおうと努力するようになる。モラトリアムから脱して、大人の男性としての自覚も生まれるかもしれない」
井上、そう、と頷く。
(舞台版『世界で一番美しい死体〜天狼院殺人事件〜』より)
「2629理論」〜「幼女性の残像」に込められた想い〜
この演劇で僕が伝えたかったことは、結局は女性がリードしなければ変わらないということだ。
未成熟でロリータの方向に行く男性を一旦は置いておいて、本来自ら持っているセクシーを大切にして、明日に対して自信を持てば、女性はより輝けるのではないか。
そして、それに引きずられるようにして、男性の意識も変わるのではないか。
その場として、設定したのが、「裏フォト部」であって、そこにいるのは、男性ではなく、あくまで女性自身である。自分自身のために、とことん、セクシーを楽しむのが「裏フォト部」のあり方だと考え、その後、天狼院が主催して、福岡から始まり、東京、京都と一年以上、この女性のための秘密のフォトイベントは開催され、全国で熱狂的に受け入れられている。
ある方は、朝方までやっていた「裏フォト部」の翌日に、僕にこうメッセージをくれた。
「翌朝、そのまま仕事だったんですが、前の晩の興奮が冷めやらず、妙に頭が冴えて、まったく眠くならずに仕事が捗ったんです」
また、ある方はこうメッセージをくれた。
「こんな楽しい経験をしたのは、本当に久しぶりです。他の女性の方が変わっていく姿を見るのが、こんなにも楽しいものだとは思いませんでした」
こんな方もいた。
「これってセラピーの効果もありますよね。きれいに撮られることによって、本当に癒されるような気がします」
起きていることは、すべて正しい。
そこでは、何かが起きていることは、間違いなかった。
そして、そこで起きていることが、参加した女性たちにとって、とても良い影響を与えていることに僕は気づいた。
「写真家」と「カメラマン」の間で
一方で、その時僕は、本気でプロのカメラマンを目指していた。「僕は大きくなったらカメラマンになりたい」という冗談のような本気のプロジェクトを遂行していた。天狼院が提供する「パーフェクト・ポートレート講座」や僕が特例で参加できる「裏フォト部」で腕を磨き、SONYのプロサポートに合格できるくらいのカメラマンになろうと本気で取り組んでいた。
そこで、僕が苦悩したことは、どういうカメラマンになるかということだ。
もっと言うと、写真家になるか、カメラマンになるか。
「写真家」とは、青山裕企さんのように「スクールガール・コンプレックス」や「ソラリーマン」などの世界観、蜷川実花さんのような独特な色の世界観を持った写真を撮る人のことだ。
一方で、「カメラマン」とは写真館で成人式や七五三、結婚式でウェディング・フォトを撮ったり、広告やチラシの写真のカットを依頼されたり、雑誌のグラビアなどを依頼されて仕事をする人のことだ。ほとんどのカメラマンが、こちらに入る。
また、写真館やウェディングのカメラマンは、「シャッターマン」と呼ばれることもあると聞いたことがある。あまりいい言葉ではなくて、それはその人でなくとも撮れる写真だからだそうだ。
もっとも、ハレノヒ柳町スタジオの笠原さんのように、写真館でも独自の世界観を打ち出して、そこにファンがついているカメラマンもいる。
さて、僕はどうすればいいのか。
できれば、個展などを開いてみたい。様々な媒体に写真を発表してみたい。そして、僕も写真集を出版してみたい。
プロのカメラマンを目指す誰もが一度は希求することを、当然のように、僕も希求した。
自分の作家性を認められる「写真家」になりたいと思った。
ところが、多くの女性に求められて、そのセクシーを引き出す写真を撮り続けるうちに、心境に変化が起きた。僕が本気で撮る写真は月に5,000枚を超えるようになり、その99%が女性のセクシーな写真だった。
たとえば、作家性を出そうと思えば、主体はシャッターを押す自分にあることになる。僕が望むイメージが優先されて、被写体の女性の方は、「素材」と化す。パーフェクト・ポートレート講座で、カメラの師匠のひとりであるカメラマンの榊さんにこう言われた。
「三浦さん、写真は上手いねって言われたら終わりですよ。面白いねと言われう写真がいい」
それは、まさに僕が悩んでいたことだった。SONYの最強の機種を使い、Gマスターレンズという究極に近いレンズを手にした僕は、数々の本を読み込み、誰よりも「パーフェクト・ポートレート講座」などの天狼院のフォト系のゼミや部活に取り組み、誰よりも枚数を重ねていたゆえに、きれいに撮ることは難しくなくなっていた。
瞳にピントを合わせて、その人をとにかくきれいに撮る。
けれども、そうすると、どうしても「作家性」という部分が必然的に削がれてしまう。考えてもみてほしい。いくら芸術的だからといって、七五三でお子さんの顔を移さないという撮り方は、許されない。作家性を優先して、結婚式で、新婦のお父さんの表情だけを狙っていたというウェディング・フォトグラファーは、すぐに失業するだろう。
「写真家」を目指すか「カメラマン」を目指すかという問題は、実はどうでもいいことだということに、僕は写真の枚数を重ねるうちに気づいた。
重要なのは誰に「主体」を置くかということ
重要なのは、誰に「主体」を置くか、ということ。
たとえば、「作家性」の高い写真であれば、「主体」は自分に置かれるだろう。そして、広告の写真であれば、広告主や広告代理店のアートディレクターが「主体」となる。ウェディング・フォトグラファーの「主体」は、結婚式の参列者であって、主に花嫁に置かれるべきである。
つまりは、「写真家」か「カメラマン」かではなく、あなたの写真は、誰が「主体」なのですか、と問いを変えば、自ずと答えが見えてくる。
そう聞かれた場合、僕に迷いはない。こう答えるだろう。
「被写体となる女性のみなさんです」
女性が、明日に対して自信を持ってもらえる写真を僕は撮りたい。
そう結論が出ると、迷いがまったくなくなった。そして、僕が目指すカメラマンの姿が明確になった。それは世界にまだ存在しなかった。
迷っていたときには、作家性を無理に出そうと思って、自分の色合いを設定して作ろうとアプローチした。自分だけの秘密の構図を探そうともした。
それが、ますます写真をつまらなくしていた。
けれども、吹っ切れてからの写真に、迷いはなくなった。
丁寧に瞳にピントを合わせて、人を肖像画として精緻に描き出す。
そして、その人のその時を、封じ込める。
これだけでいいのだと気づいた。そうすることによって、被写体となった女性の皆様から絶賛されるようになった。そして、師匠であるカメラマンの榊さんから、初めて僕の写真に関してメッセージをもらった。
「これ良いポートレートですね、とても良いです。時間と空気をそのまま封じ込めた感じいいですね。真空パックというか。近くにいる大事な人を撮るのがポートレートの終着点です。もうこれで免許皆伝ですね笑、この距離感を大事に撮り続けたら良い写真展出来ますよ」
それは、セクシーな写真ではなかったが、天狼院のスタッフの川代紗生を撮った写真だった。
そして「秘めフォト」へ
オーソドックスでシンプルなものこそが、写真として残る。
そして、シンプルなものこそ難しい。
もしかして、と僕は思った。丁寧に瞳にピントを合わせて、人を肖像画として精緻に描き出す。そして、その人のその時を、封じ込める。被写体の女性に「主体」を置いて、これを丁寧に丁寧に繰り返していくことでしか、「作家性」というものは現れてこないのではないかと。
おそらく、「裏フォト部」に参加している中で、僕の写真がもっともエロくないかもしれない。面白くないかもしれない。それでいいと思っている。それでも、僕の写真がもっとも被写体の方に受け入れられることを知っているからだ。
迷いがなくなった僕の撮影枚数は、いつしか、月に8,000枚を超えるようになった。そして、女性の皆様に受け入れられる新しいサービスの輪郭も定まってきた。
被写体の女性から、こう言われるようになった。
「最近の三浦さんの写真、優しくなってきましたね」
思いがけない言葉だった。肌の露出という意味においては、もう究極のとろこまで行くようになっていたからだ。でも、その理由も、なんとなくわかる。
徹底して、被写体の満足を考えて、僕は撮り続けることが写真になんらかのよい影響を与えているのだろう。
そして、最近の「裏フォト部」に参加した女性の方から、こんな称号をいただくにいたった。
「日本一女性を気持ちよく脱がせるカメラマン」
悪くはない称号だ。
新しいサービスのために、様々な研究した。撮ったポートフォリオも膨大な量になった。そのポートフォリオのモデルをしてくれた全国の女性の皆様のリピート率は、86.5%に及んだ。52人中45名の方が、実際にリピートで撮られた。あるいは、今後ぜひ予約を入れたいと答えている。
ただし、新しい苦悩が、僕を苛むようになった。
今回のサービスは、「秘密」がテーマである。カメラマンとして、僕はたしかに膨大な数の写真を撮っているが、被写体の女性がお客様で、お客様にさえ満足してもらえれば、目的は達せられるので、基本的にその作品が世に出ることがない。しかも、セクシーな写真が専門なために、そもそも、世に出すことはむずかしい。 膨大な枚数を撮っているにも関わらず、最近、僕のFacebookやinstagramに新しい写真が投稿されないのは、それが理由だ。
今、僕は21日前の写真すら、もう自分の写真と認めたくないくらいの爆発的な成長期に入っている。そのたしかな実感があるので、写真を公表できないことは少し残念ではある。 けれども、あくまで僕の写真の「主体」は撮られる女性の皆様なので、それでもいいのだ。今の僕は、別に賞を撮りたいわけでも、世間に認められたいわけでもない。ただ、被写体の女性の方々が、明日に対して自信が持てる写真を一枚でも多く撮るのが、カメラマンとしての僕の目標なのだ。
そして、ついに、それを実現するためのサービスを、いよいよ、ローンチできる。ロゴマークも完成し、多くのモデルさんの協力も得てポートフォリオも完成した。
そして、僕はSONYにプロのカメラマンとして認められて、SONYのプロサポートの正式な会員にもなった。 『READING LIFE創刊号』から始まり、青山裕企さんとの原始「裏フォト部」、天狼院の「裏フォト部」で、多くの女性の皆様からフィードバックを得て、映画と演劇にもその主旨を登場させた、この新しいサービスが、今、最後の進化を遂げて完成しようとしている。 それが、カメラマンとしての僕が、世の女性の皆様のために開発した新しいフォト・サービス「秘めフォト」である。
「秘めフォト」によって、多くの女性が明日の自分に対して自信が持てるようになることだろう。
やがて、近い未来に、女性の美しさによるソーシャル・レボリューションが結実するだろうと僕は信じている。
明日を変えるのは、自分自身だ。そして、社会を変えるのは、自分に自信を持った女性の皆様だと僕は思うのだ。
「秘めフォト」がそのきっかけになればと思っている。
「幼女性の残像」
18歳の美しさは「体型(ルビ:フォルム)の完成」と「幼女性の残像」が交わることによって生まれた巨大な幻想であって、そこにはまだ「真の生産性」が備わっていない。
「真の生産性」とは、突き詰めて考えていくとすなわち「母性」であって、この「母性」が女性の本当の意味での美しさの源になるものである。つまり、生物学的に言って、生殖の準備ができた時期が最も美しいという、至極当然の帰結を得たわけである。
問題は、生殖の準備ができた時期、「母性」が備わるのは何時かということだ。歴史を紐解いていくと、戦国武将の多くは十代の妻を娶っていて、「鬼も十八番茶も出花」と言われるように古くから十八歳付近の美しさは特筆されていたわけであるが、それは今よりも平均寿命がずっと短かった時代のことだ。
単純な対比で考えた場合、平均寿命が50年のときの18歳は平均寿命が80年のときの28・8歳に相当する。そして、それは平均寿命が伸びるに連れて後ろへとスライドしていくものなのだろう。
つまり、たとえば女優ならば価値が下がっていると思われていた26〜29歳、あるいは近い未来においては34歳くらいまでが、女性として最も美しい時期に差し掛かるのではないかと推測するものである。
これらのことを踏まえて、26〜29歳、あるいは34歳までの期間を、女性のゴールデンエイジと名付けようと思う。
「秘めフォト」進化論
2014年11月 『READING LIFE創刊号』発売
2014年12月 原始「裏フォト部」開催
2015年3月 映画/演劇『世界で一番美しい死体〜天狼院殺人事件』 2016年6月 「天狼院裏フォト部」福岡初開催
2016年9月 「大きくなったらカメラマンになりたい」プロジェクト開始
2016年10月 「天狼院裏フォト部」東京初開催
2016年12月 スタジオ天狼院オープン
2017年2月 「天狼院裏フォト部」京都初開催
2017年4月 三浦、SONYプロサポートにプロカメラマンとして合格
2017年6月 「秘めフォト」サービス開始